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Dear Sachibonne

“神さまを信じていた頃”ー東北震災もパリのテロも知らない2007年の、大阪の人気プランナーで「キッチン物語」の著作者でもあるさちぼんのブログ内への寄稿文「パリ⇄大阪往復書簡」。私の著作エッセイ「akoのabc」のベースにもなったその記事原稿と、ぴったり10年後の今、偶然の再会。 日仏(米)の違いと戸惑い、社会問題、アートや自然、愛についてのまっすぐなやりとり。私の作品も毎回紹介して頂いていたけれど、それらは端折ったレジメ版をここにコピー。皆さんお時間が許せばぜひ。私の手元にないフロムさちぼんも読み直したい! それにしても10年って、瞬きの速さ。 Mon article d'il y'a 10ans ... j'aimerais bien que mes chers mais français aussi le lire .....!!

Dear Sachibonne

*2月*

さちぼん。

今日はお雛様を飾りましたよ。6年前、娘が生まれた時に母が送ってくれた、日本から遥々やって来た私の七段飾りのお雛様。パリの居間に始めて飾った時は、可哀相なくらいお雛様たちが不安気な面持ちをしているようで、「私のせいで見も知らぬ異国に送られてきて…」と申し訳なくて、胸がキュと切ない気持ちになっていたの。久しぶりに箱から出して貰えたのに「この乾燥した空気は何?聞こえてくる言葉は何?ここはどこなの?」と彼らが呟く声が聞こえるようだった。赤い毛氈の上の黒漆の台に鎮と乗せても「ここではどんな表情をすればよいのだ?」と、居心地の悪そうで、淋しそうだったお雛様たち。

でも不思議なことに、今年はみんな晴れ晴れした顔をしている。すっかりパリに慣れて、堂々とお雛祭りの為の役割を果たそうとしてくれている感じなの。

気のせいではないと思うのよ。パリの空気に慣れただけではなく、パリの日本人の方々からはノスタルジーが加えられ「素晴らしいお雛樣!」と褒められ放しで、フランス人のお友達からはもう限りなく感嘆の眼差しが向けられるのだもの。それをちゃんと感じて来ているのではないかしら。陶の上品な顔、絹の服、桐の家具達は皆手作りで、それはもう芸術品と言えるもの。今年はもうこのお雛様たちはどのお雛様たちより幸せかもしれない、とさえ思うのよ。

さて。さっちゃんの言う通り、鉄瓶のイボイボと大仏様の頭は似ているわね。何か所以がありそうな感じ。私はアフリカ系の赤ちゃんの伸び出した髪を見ると、大仏様の頭みたい、といつも思うのよ。実は関係があるのかもしれない?

そして。

さっちゃんはアジア諸国の仏像が大集合したパリのギメ美術館に感嘆したと言う。でも私は、あそこに並ぶ仏像を見て、首を横に振りながらCe n’est pas possible … と、どうにも泣けてきたのよ。

“アジア美術の宝庫”と名打ったギメ東洋美術館が5年の眠りから覚めリニュアルオープンしたのは2001年の冬。その時、私は開館式に招かれ、正装したパリのインテリや着飾ったお金持ちに混ざってピカピカに輝くこの殿堂をわくわくして訪れたの。百余年の歴史を持ち、欧州最大のアジア宗教美術の研究の場でもあるギメ美術館に興味あるフランス人は一杯で、今でもパリ人気の美術館の一つだとは思う。でも私はそのオープニング以来足を踏み入れていないし、人にお勧めもしていない。

確かにアジア諸国の様々な姿の仏像を一度にわんさと見られるのは素晴らしいこと。でも仏像とは、こんな風に対面するものではない、と思ったのよ。アジアの国の湿った空気の中、周囲の音を飲み込んだ薄暗い木造建築の静けさに包まれて、向かい合うべきものじゃない? 私は無宗教者で仏教徒ではないけれど、それでも日本で生まれた一アジア人として、仏像たちをフランス人たちが「美しい…」と溜息をもらすような美術品として見ることはできなかった。

そして思ったの。仏像様たちは、ここで何を瞑想しているのだろう。暖房の効いた近代建築の中で、真っ白な壁を背にスポットライトを浴びさせられて。戸惑いながらも、けれど穏やかな顔をして。「こんなこともあるさ」という小さな声が、私には聞こえた気がしたよ。

似たような気持ちを昨年の夏『世界の原始美術の宝庫』の謳い文句でオープンした“ケ・ブランリー博物”を訪れても抱いた。“原始美術”といっても数千年前の滅びた文化のオブジェが発見発掘され飾られているのなら拍手。でもほんの前世紀の、1900年代のアフリカやアジアの原始的な小さな村から買い取った(ぶん取ったとも言いたい)オブジェがじゃんじゃん並んでいる。これらのオブジェは日々の生活に密着して祈りを込めながら創られた、自然と共に生活している人々にとっては神の様な代えがたい大切なものではない?彼らはそんな命の破片と交換に現代的なお金を無遠慮なフランス人から渡されて。「どうも納得いかない」と社会学者の友達ティエリーに話すと「昔は盗んできたんだからね。お金を払うようになって良い方さ」…

ズシリと神の存在を感じさせる大きなトーテムポールがあったけれど、これが現代人に引っ込ぬかれ、突然姿を消した村の広場を想像してみて…

この美術館の設立提唱者シラク大統領の言葉が「他の文明に敬意を表する為、この博物館を創立した」。

私にはわからない。

*3月*

こんにちは。

さっちゃんからのギメ美術に対する意見を読みました。それにしても奇しくもの大阪でのギメ美術館展!!すごい偶然。

うん、確かに。私だって美術館、博物館の存在理由をわかっていないわけではないのです。こんなこと言い出したら、世の中、人間のエゴで形成されているものなんて溢れるほどで、納得行かないことは一杯。書簡を読んでくれた元雑誌編集長の友達がメールをくれました。「人間のエゴで生きた動物を標本化する動物園なんて、私には拷問」と。

でも美術館も動物園も、今後消滅することがないばかり、世界中の人々に愛され続けていくのよね。さっちゃんの言うように、こんなにも素晴らしいものが見られた、という感動がやはりあるから。

キレイごとでは行かず、エゴがちらつくと快くなく、人間社会は難しいね…これを制しようとする政治家は物事をバシバシ判断していかなくてはならないのだから、繊細さに欠けた人間でなくては勤まらないぞ、などとフランス大統領戦を前に思ったりもします。けれど(話は飛びますが)、私達の住むこの世界を少しずつ、もっと生きやすく愛に満ちたものに変えていけるのは、実は音楽や芸術ではないかと思う私。優しさへの、いい意味での洗脳ができるとでも言うのかしら。

ところで、さっちゃんの言う“白黒つかない話をディスカッションするのはフランス的”に、最近友人宅でお昼ご飯をご馳走になった時の会話を思い出しました。

ランチの主催者、マリーの哲学的な質問に、私は最初鼻で笑いつつ、いつの間にか真剣なディスカッションの中に入り込んでいたのです。簡単に話すと…

彼女は問いました。「世の中はいくつでできていると思う?」

私の旦那様、「2。陰と陽でできている」。

ご存知の通り彼はベトナムの血も引くフランス人で、あらゆる武道を好み、幼い頃のヒーローはブルースリー。トレードマークは白黒の円で陰陽を示す。

するとマリー。「私は3だと思うのよ。陰と陽、そしてその二つを動かすための力。だから陰、陽、力、で3」。

そしてマリーは私の方を向き、「akoは?」

私は、そんなこと言うまでもないよ、と思いつつ「無限の数よ」。

だってそうじゃない?世の中2とか3なんかで片付けられない、無数の分子、無数の動き、無数の可能性、無数の過去…もうそれは数が溶け合ってしまうくらいの無限大の数で構成されているはずよ。と、私が自分の考えを疑うことのないように、各自、自分の数に疑いがなく、その定義たるものをしっかり例を挙げつつ各々が語り続けるの。

蛇足ですが、フランス人がカロリーのあるものをこんなにも沢山食べるのに太っていないのは、アムールの国であること、そしてこのディスカッションによるおかに違いありません。

*4月*

こんにちは、さちぼん。

パリは春だと思ったら、突然寒くなり、雪や雹が降り出したりしています。なんだか体と心がこの可笑しな天候についていけず、くるくる眩暈がして、酔ってしまいそう。日本はどうかしら? 桜が早いかも、と聞いているけどそろそろなのかな。

さっちゃんが ‘パリ・キッチン物語’を執筆するずっと前に、我が家に遊びに来て「キッチン見てもいい?好きなのよ人のお家のキッチンを見るの!」とシンプルな我が家の小さな空間を、目をキョロキョロさせて見ていたのを印象的に覚えています。まさにその好奇心が一つの形となったさっちゃんの本は、なっちゃんの素敵な写真と共に、本当にチャーミングな一冊ね。折りしも前回の書簡には、まだ見ぬさっちゃんの大阪のおうちのキッチンの写真。一目見て「さっちゃんはしっかりと奥さんでママだわ」と思ったの。あらホント、キッチンは知らず知らず使う人を語ってる!さっちゃんの書いている通りだわ。

我が家のキッチンなど必要最小限な物しかなく、それらもみんな仕舞い込まれてシンプルそのもの。さっちゃんの知ってる頃より棚がまた一つ消滅。ご存知の通り居間などもモノが最小限で、お客様から毎度聞こえてくるのは「子供が二人もいるのに、生活感がないのねー」。自宅がアトリエを兼ねているから沢山モノがあると次なるインスピレーションが湧かない、ということもあるけれど。それにしても実家を出て早10数年、どこにいても身軽でいたく、旅行鞄一つでどこかへ旅立てる体勢でいることを、私は理想として生きている気がします。それに、それで生きていけるもの!

*4月*

さちぼん。娘ちゃんの入園、おめでとう!

桜咲く中どんな風におめかしをして母娘入園式に向かったのでしょう。娘ちゃんにとっては「さあ世界の始まり!」ね。

日本の学校がフランスのそれと比べて良いのは、ドキドキの入学式があって涙の卒業式があって、何と言っても“汗をかいて頑張る”を経験できる運動会や球技大会があること。そして授業参観や給食参観!これはフランスでも「PORTE OUVERTE(扉開放)」と名を打って行ってほしいな。

そんな事を考えていた今日、旦那様の親友で米国に就職して7年、グリーンカードも取ったマキシムが遊びに来て、こんな事を話したの。

「アメリカで何を学んだか、というと‘失敗’が、決して悪いものではないという事なんだ。失敗は成功への一歩。失敗を含めた沢山の経験が成功に導かれるという事を、フランスでは教えられなかった」。

「えー!」と私。

「日本だってアメリカと同じ考え方よ。フランスでは違うの?!」「違うよ。失敗?あっちへ行け!だよ。即 ダメの烙印」

「それって、社会人だけでなく、学生にも?」「もちろんさ」「日本では失敗は成功の元、という諺があるのよ」と私。

「ああ、僕はアメリカでまさにそのことを学んだ」。

「ホントに?」と目をぱちくりする私に「ほらあの人が、この人も」と試験や就職に失敗した共通の友人が、その後どんな厳しい目にあったか例を挙げて話すの。なんだか日本の教育の方が子供達にとって良い気がしてきましたよ。

とは言え私のフランス生活10年の中で、マキシムの意見に頷ける事は幸いにもなく。失敗と思った事は日本流に自然と糧にしているしね。機会があればさっちゃんの周りのフランス人の友人にも如何なものか聞いてみてください。

でもフランスの名誉の為に付け加えると、フランスだって素晴らしい面が沢山。

例えばパリには子供達が安心して遊べる整備された公園がいっぱい。私の家から徒歩10分内の公園はなんと7つ。どこも管理人さんがいてトイレがあり草花が美しく植えられているのだから子供達は幸せ。車5分でリュクセンブルグ公園やモンスリー公園、ベルシー公園、動物&植物園にも到着。バカンス時の日本で言うサマースクールみたいなものも安くて充実している。社会が子供に対してしっかりしていると、大人が自分の時間を充実させることができ、社会に幸せが多くなる気がするよ。

ところで。さっちゃんが、私を紹介してくれた一文に「仲良しだけれど、性格の違う私たち」云々とあり「さっちゃんってそう感じていたんだ」と驚きました。でもさっちゃんからの書簡で、なるほど、と思ったよ。さっちゃんが‘毎日母ちゃん’で巣作り派としたら(でも家族でパリで完全なミニマム生活を一度経験しているところがまた素敵よ)私はママンや妻である事実に今だ「私に合う役割であるのか?」と戸惑い「あ、子供達お迎えの18時!アレー(イケーの仏語)頑張れママンだ」と切り替えが必要。子供達が産声を上げた時から自然と人間としての尊敬を込めて彼らを「さん」付けで呼んでいて 、ひとりの人間として彼らを赤ちゃんの時から見ている気がする(だって作品は自分が手をかけないと何も進まないのに、赤ちゃんは自分でどんどん大きくなって毎日成長していく!)。

けれど勿論、子供達はとても大切な守るべき存在と心得ているわ。いつでもシンプルに向かって生きたい私は、ある日「どうしそうなのか?」と考えたところ「人生に余り執着がないのかな」という思いに行き当たり「生きる理由は?なぜ生きなくてはならない?」と全く不幸ではないのに問いつつ、「ともあれ子供達が20歳になるまでは、私は存在していなくては」と思うに至るのだから。

*5月

さちぼん。前回のシロツメクサの写真といい、前々回のランドセルの写真と言い、さっちゃんは私の胸をノスタルジーでジンとさせるツボを知っているみたい。シロツメクサなんて、写真大きくして涙を拭いながら見ましたよ。

パリは、春は一瞬に過ぎ去り、すっかり夏のようです。早くもバカンスの話題が持ち上がってきて、我が家も7,8月の旅の計画を練って予約も完了!毎年恒例の日本帰国&海辺の休日は今年も変わらないのだけれど、海への旅がフランス発ではなく、東京発の南アジア、インドネシアに。東京発なのだからと昨年クロアチアで一緒に夏のバカンスを過ごした母に「一緒にいかが?」と誘ったのだけれど「暑い夏にもっと暑くて湿気のある国に行く気にはなりません。あなたの夏と海が大好きなのは、まったく小さな頃から変わらないわね」。そうなの。私は夏と海が、ホントーに好きだわ。ハイジのシミ-ズの様な薄いワンピースで街を歩ける季節になると、意味もなく幸せな気分になる!

さて。

フランスと日本を知るさっちゃんだからこその「世界は広く、こことは全然違う考え方をする世界がある」と子供達に言い続けたい、という前回の書簡の一文、まさに!と思いました。そして、今までの自分の人生をちょっぴり振り返りましたよ。

私は思春期くらいから「周りの友人とはなんだか違う」という漠然とした感覚があったの。“特別”というのではなく“なんだかオカシイ”という感じ。自分の中にふんわりした雲みたいな物があり、それが私という人間を、例えば“電車に乗って外を正視しているキチンとお化粧をしてスーツを着たお姉さん”になる事を妨げている、と。10代後半、私はそんな風に世界から疎外感を感じていたの。幼い頃から海を見るだけで胸が高まった私は、海が見える!(東京湾なんだけど)という理由で遠いのに選んだ高校は成績一番で入学してしまい、入学式に誓いの言葉を演台に立って全校生徒の前で読まされ「このお仕着せにはまった私は滑稽なほど私じゃない!この世界はどこか自分と折り合わない」と教頭先生の前で涙をポロポロ零して、謝りの手紙が直々学校から送られてきたこともありました。

この雲(でもあくまでフンワリした薄桃色よ)が自分の中に宿ってからは‘成績もスポーツも優秀でなんでもできちゃう元気いっぱいのアコちゃん’とはおさらば。両親をかなりがっかりさせたと思う。今から思うと、繊細さが損をしていた。高校時代は少し哲学的な思考の中、どこかアンニュイな日々だった気がします。そして、一旦力を抜くと、その前の状態にはなかなかもう戻ることは難しい、ことも、その時学びました。

それがセツ・モード・セミナー(長沢セツ氏の作った異端な美術学校)に入った時「わぁーなんだー!私みたいな人、いっぱいいるじゃない!!」「こんな世界もあったんだ!」と、フワッーと、心が開けたの。

透明なガラスのコップに光る水滴の、目に染みる美しさを語りあえる人が、たくさんいるのだもの!

そして、友情と愛と絵と遊びと仕事がごった返しでギュギュっと詰まった、誰にも負けないと自負できる素晴らしい20代を過ごし、その後半になった時、パリに独り引越してきて…「あ、パリはもっとなんでもありなんだ!すんごく自由だ!」と思ったよ。日本では正しいことが、フランスでは正しくなく、その逆も沢山で、まさに‘世界中色々な考え方’があるという事を、ひしひし実感する日々です。

そして早くも10年。自由という言葉の定義は人様々だけれど、ともあれ学生時代以来着続けているのお気に入りのふわふわスカートを着てローラーブレードでベビーカーを押し、初夏の風を感じながらパン屋さんにバゲッドを買いに行くパリの毎日が、私にはぴったりきています。そして、フランスの常識を日本帰国時に持って帰らないよう注意、とも思うよ。

*6月*

なんだか、今のさっちゃん、パリにいる時より日々充実で幸せそう! 旦那さんは有名なフレンチレストランのシェフとなって活躍し、子供達はすくすくイキイキ、さっちゃんはお料理やお裁縫を楽しくこなす母ちゃんで、余所から見ればクスっと笑っちゃうような日々の悩みはあっても、ハーモニーある家族のカタチ、を今のさっちゃん一家に私は感じる。 さっちゃん一家がパリから日本に帰ることを決めた時、後ろ髪を引かれるような思いでいるさっちゃんを見かねた私は、

さっちゃんを引き止めたい思いもあって、無責任にも「パリに永住することにしなよ!」と言ったのを、覚えている?

でもさっちゃんは「ここでは先が見えない」と答えた。で私は「ということは日本では見えるって事なのね」と、言ったの。 そしてさっちゃん一家は、東京でもなく生まれ育った神戸でもなく、大阪へいった。そして…ほら!人は、自分でも知らない間に、自分の欲求に耳を傾けていていると “すっぽりおさまる場所”に流れて行っているような気がするよ。 そういえば、私はパリに来たばかりの頃「ああ‘パリ’が世の中にあってよかった」と思っていた。もしパリがなかったら、今頃私はどうなっていたのだろう、と。「すっぽりおさまる場所」を見つけられ、そこにいられることに感謝です。 最近友達がもらした一言が、心にぽとりとキレイな雫を落としたみたいに残っているの。

「夢は叶うようになっているんだよ」。神様しか叶えれらないだろう夢を最近叶えることができた女の子です。 両親が小さいころに教えてくれた言葉もいまだ忘れていない。「外国にこんな諺があるのよ。‘気をつけろ。夢を持つと、実現してしまうぞ’」。人はすっぽりおさまる場所、に、夢に、知らずと向かって生きているんだよね。 さてさて、今年の夏の、さっちゃん一家の小島への旅行、素敵だね。 ワイルド&ポエティック!地球と空と命が存分に感じらる旅になりそうね。夏は子供も大人も関係なく遊べるのも嬉しい。 ここ数年私の海辺の旅でのお気に入りは、早朝誰もが眠っているうちに起き出して、顔も洗わず髪もとかさず、シュノーケルとフィン、水中メガネをもって、ひとり海で泳ぐことなの! 海の水はまだひんやり冷たいけれど、青―く大―きな海を独り占めーで泳ぐ!もうすごーーーく気持ちが良くて。 ひと泳ぎしたあとは水着の上から薄いワンピースを羽織って、ホテルのレストランで朝食をとり始めている家族と落ち合う。そして生ジュースを何杯もおかわりするの。不思議なことにお洒落をしてレストランへディナーに向う時は全然なのに、このひと泳ぎの後は同じホテルに泊まっているダンディーな男性に声をかけられることが多いのよ(笑)。髪なんかびしょびしょで頭に張り付いているだろうに、きっと全身満たされた幸せな顔をしているからなのだわと、嬉し可笑し。

日本で流行らしい美白なんて私にとって何のことやら。今年もまたこの夏の海の休日が、待ち遠しくてたまらない!

*6月*

なんだかとっても楽しそうな、さちぼん一家!くすくす笑い続けながら、前回の書簡を読みました。

家族って、夫婦って、何だろうね。不思議不思議。恋は消えたとしても、ひとつの愛の形が残っていれば、続くその関係。

あ、でもそれはもしかして日本的な考え方かな。恋愛至上主義フランスでは、愛ありきで、そうは言えない例が多いものね。

そして、さっちゃん。我が家のことちゃんと見てる。そうか…私は旦那様の船あっての…なんて、実はしばしば言われること。誰が見ても彼は私と正反対のしっかり者。でも行き当たりばったりで感じるままに進むだけではなく、もう少し生きることに責任を持つべきだとも思う今日この頃。どうしこんな自分になったのだろう?親が子供に与える影響が大きいとしたら、我が両親を思うと考えさせられる面はある。

パーマヘアーが不良と呼ばれて規則違反だった中学時代。自宅でできる‘ホームパーマ’が流行し、私の髪で試してみたいと言った母は、ある日真っ直ぐなおかっぱの私の髪をクリクリの崩れた聖子ちゃんヘアに変身させたの。翌日そのまま登校せずをえない私を見送る満足そうな母の笑顔。そして私の余りにも堂々たる悪気のないパーマヘアーに、怒る術をなくしていた先生と教頭。規則はあまり重要ではなく、ことは自分の態度次第であることを知りました。

父はサラリーマンであったけれど、趣味が多彩で、その中のひとつは尺八。演奏していただけでなく、尺八を何本も持っていて、しかもそれらは千葉の竹林で竹を探すところから始まり、全て自分でヤスリを入れ穴を開けて作る!という懲りようだった。そういえば美しい竹のランプも作っているわ。これはもう私がどう転んでも勝てない素晴らしい灯です。

また写真も大切な趣味の一つで、何台ものカメラやレンズを持ち、当時の東京の家のガレージにはセルフビルドの暗室を持っていた。あくまで趣味でプロではなかったかれど、いくつものコンテストで賞をとっていたのよ。

そんな父がある日、「お父さんはもし結婚していなかったら、他のことを仕事にしていたな」と言ったの。「何をしていたの?」と聞く私に、父は「ギャング」。

現実離れしたその答えに、私の思考は止まりつつ、でも「お父さんならやりそう」と思ったの。そして「私も一緒にしたい!」と。将来堅気の仕事をしようなんて、思えなくなります。

さて。

インテリジェントで繊細で不良の、大好きなカメラマンさんやAD さんとの、8日間に及ぶ「PARISとAKO」の雑誌撮影が、先日無事終わりました。最終日の夜はシャンパンを開けて乾杯。本当に楽しい日々で、日本に帰って行くカメラマンさんを見送った後の私に、役者でもあるADさんは、それはもう感情一杯に「寂しいねぇ」と私の肩を撫でながらつぶやき、涙を流させるいじめっこでもありました。彼らは二人とも我儘に、でも自分に正直に生きていて、その分大変なことが一杯だけれど、面白い人生を生きている。彼らのせいで、またさっちゃんのいう私のボヘミアン気性に拍車がかかってしまいそうですよ。

ともあれいつでも、自分に嘘をつかず生きていたいな。

*7月*

さちぼん。

その後「考えるより汗を流せ」モットーは続いているかしら?

身体を動かすこと、酸素を身体に吸収することって、本当に気持ちがいいよね。私も体を動かすことが大好き。

アーチストとスポーツは対極にあるみたいに思われているけれど、実は私は今でもぐんぐん走る事も、原っぱで逆立ちも、鉄棒でぐるぐる回転も、ローラーブレードもバスケットもバトミントンもテニスもゴルフもダイビングもスノーボードもそれから空中ブランコもできちゃうのよ!

でも、何が一番好きかといわれればやっぱり海で泳ぐこと。泳ぐ、というより私の場合、ぷかぷか浮かんで波に揺られたり、ドブンとジャックナイフで海にもぐってプカーンと浮かぶ。

もう、海の中では「満たされる」という感じ。悦びでうふふふ…と一人で思わず声を出して笑ってしまうほどなのです。

そして、さっちゃんもご存知の通り、週に数回は元貴族の館の梁に美しい絵画が残るマレのスタジオで、現代バレエのレッスンを続けています。

体が生まれつき妙に柔らかいことと、小さな頃に器械体操を習っていたこと、クラシックバレエより動きがダイナミックであることから、自分に合うのではとパリに来て初めた現代バレエ。二人の子供の妊娠出産もなんの、そのもう現代バレエなくしてakoは存在しません。

全身での表現は、スポーツとして汗を流す気持ちよさを超えて、カタルシスという精神的な作用もあって、繊細すぎる自分には必要で。そして自分との対面。それは大きな鏡に映る「からだごとのわたし」の直視。それは毎朝5分のお化粧のため顔を鏡に映すのとは大違いで、スタジオの大きな鏡に映る、わたし、という存在を、‘見てやる’ こと。

時々、可哀想なくらい落ち込んでる、とか、悩んでるなぁとつくづく思い知らされることもあるし、わぁー元気そう、イキイキしてると思う時もある。寂しそうな時は元気付けるし、笑顔が溢れている時は、更に幸せになるよう。

わたし、という存在を直視、ちゃんと目を見つめる、その時「嘘っこのわたし」だったりしたら、怖くてできない。わたしに嫌われるわたしにはなっちゃいけないもの!

話は変わって。

昨夜はフランス日本国大使主催の大使公邸のパーティーに招待され、いつになく少しフォーマルにお洒落をして(と言っても、母の50年代のシルクのAラインワンピースに、黒いアンティークボタンで作った長いネックレス。余り私らしくない黒いヒールにはフェルトで作ったお花を添えて)参加してきましたよ。

新しく就任した優しそうな(と同時に厳しそうな)飯村大使とその奥様に、ご挨拶と自己紹介をさせていただき、その後、大使や公使によるスピーチが終わると、会場には先輩や知る顔が一杯で、芝生を引きつめられた美しい庭も開放され、なんだか友人のベルニサージュに来ているみたいにお料理やワインを片手に皆和気藹々。2007年が日仏友好150年を迎えるにあたり、日々日仏交流に尽力している人々、が招待されたのですが、そんな気負いなど皆さん全くなく、それがまた “時代” でいいなぁと感じたりもしました(なんて、若造が生意気にごめんなさい)。ビュッフェのお料理に、厚い輪切りのズッキーニの天ぷらや、日本風カレーがあったのもなんだかチャーミングでした。

このようなパーティーがフランス人主催であったらパートナーとの出席が無言の決まりなのに、日本人主催なので、昨年に引き続き、皆お一人の参加だったのが、会も基本は仕事、と言うことなのか、お国柄も感じて。

ホントは今週パリで会えるはずだったね…。人生山あり谷あり。さっちゃん、一緒に、頑張ろうね。

*7月*

さちぼん。 心に染みました、ロルカの言葉。 繊細な人間は人一倍、悲しさや切なさを痛みとして感じてしまう生き難さを持っているけれど、その分、風や月の光や土から、何かを強く感じ、それを人一倍愉しめるという特権も持っている。そしてそれを何かのカタチにして還すことができればそれはアーチストにとって何にも変えがたい、悦びね。 さて。さっちゃんにとっての「犬養道子」たる人物が、私にとっては「桐島洋子」かもしれない。学生時代に当時出ていたエッセイは大抵読んで、あの強さと潔さに、感服していました。彼女がそれらのエッセイを書いた年齢に近づいた今また読み直しても、到底彼女に追いつけはしない、と思う。人の生き方などが紙面になった時、それは現実の弱点を覆い隠す力を持ち、どこか光り輝いてしまうこともわかっているけれど。それにしても! 私はいつも精神的に「強くなりたい」願望が、すごくある。一人の時間に何よりも幸せを感じるというのに(だから就職経験がなく一人で籠もれるアーチストや物書きを生業としている)でも、かなり寂しがり屋でもあるみたいで(そうでなければ結婚したり子供を二人も生んだりなどしていないね)。まぁ、ただの、わがままなコドモ、なのかもしれないけれど。 モノを余り持ちたくない私は、本さえ大抵読むと人あげてしまい、桐島洋子の本も手元にはもうないけれど、当時どうも気に入ったらしく、人に手渡す前にコピーし残してある頁があるの。本の題名さえわからないけれど、頁の上に小さく、章のタイトルらしきものがある。「自由な人生を望む女に子供はお荷物か」 !

何を思っていたのか20代前半のako…。でもその頃の私には、実は、この章の「子供」の存在は全然問題ではなかったんだ。

そこで彼女は三人の子供のパパでもある恋人と別れる決心をし、「身の毛がよだつ悲惨な決心」でありながらも「形の上では私の方から追ん出るのだ…どうせ被害者としての請求権など何一つありはしないのだから、私はまずきれいサッパリ被害者であることを忘れようと思った」と書くの。

いっぱい泣いたのかもしれない。沢山泣いて、やせ細っても、次に進むしかない。人を愛したことは、決して後悔せずに、次の新しい人生の頁を捲った。このコピーをして残した見開きの2ペイジの文章は、“繊細さを持ち合わせ、何があってもそれを自分なりに昇華していく強さ”をもつ、私にとってのある意味で、“ロールモデル”である桐嶋洋子を、代表するものだったのかもしれない。 不思議なことにいつの日か、すごく強くなって、「一人でもぜんぜん大丈夫」と、人里離れた、アイルランドみたいな高原の果てで、キャンバスを広げて、風に吹かれ絵を描いている自分が、ずっと昔から頭の中にあるの。なぜか大好きな海でなく、乾いた空気の高原が、私の最終の住処なのよ。それも一人ぼっちで。どうしてだろう? おかしな話になりました。夏だというのに、もう数週間も続く、パリの厚い雲のせいかしら。

*7月*

さちぼん。 数日前に日本に到着し、まだまだ「事態がつかめていない」「夢か現か」と言う感じのakoです。 自分が生まれ、20代半ばまで育った、かつては日常であった私の国、日本に、現在の日常である、もう一つの私の国、フランスから到着すると、初めて訪れる異国よりも私を混乱させるの。いつでも不思議なカルチャーショックを、成田に飛行機が着陸するやいなや、ビシビシと感じてしまう。 いつもの事ながら最初の1、2日目は、見るもの聞くもの全てに超敏感になる。お店で聞こえる日本語の一言、キレイに並んだ車、電線の走る空、母の料理の匂い等々もう何でも・・・そして2,3日後には心がパンク。麻痺してしまう。 今はまさにその状態。体はここにあるのに心は消えた。ただ風景が、時間が通り過ぎる。 しかも今回は到着翌日から地下鉄に乗ってしまったのだからいけない。まるで体を慣らすことなく、バシャンと突然冷たいプールに飛び込んでしまったようです。時差ぼけに強い私も、突然の刺激で、眠れないし、眠ってもすぐ目が覚めてしまう・・・。 子供達はといえば、到着翌々日から日本の学校や保育園に「日本体験!」とポーーンと放り込まれ、けれど素晴らしく楽しんでいるのよ。特に娘が初めての日本の小学校をこんなにも喜ぶとは嬉しい驚き!フランスとは何もかもが違うのに、言葉だってすべて分かるわけではないのに、それを戸惑い、ではなく、面白い!と感じて全身全霊で日本をむさぼる彼女。

「給食に、デザートがなかったのよ、ママン・・・」というのも、初日の彼女の、ちょっと残念な驚きなのでした。 先生やお友達が、娘や息子に毎朝「グッド・モーニン!」と言うのも、なんだか楽しい。 ともあれ日本の夏を楽しみます!そして数日後は再会ね。

*8月*

さちぼん。 夏真っ盛りね!そしてすっーかり日焼けで真っ黒な私。そう、インドネシアの海辺で、素晴らしいバカンスを過ごし、再び東京に戻ってきました。それはまさに我が愛するフランス式バカンスの、我侭なまでにただただ海と空を堪能した一週間でありました。今でもまだあの、波に揺られている感覚が残っているほどなのよ。 その昔、絵描きの恋人とバリ島をバックパックを背負い大きな帽子を被って一ヶ月間放浪したことがあるの。今思うと、なんて無謀な、よく生きて帰ってきたなぁと思う、小さな島へも渡ったアドベンチャーな旅。 私の父から受け継いだ本格的なカメラで撮ったいくつもの写真は、今では私の手元に残ってはいないけれど、心に焼き付いて離れないいくつものシーンがその湿った熱帯の空気と共に私の胸に大波のように時々蘇るほど、それは私の人生の素晴らしい思い出になっている。 それから10年余。フランスに渡りフランス人と結婚し、二人の小さな子供のママンとなり、再び訪れたインドネシアの海。それはあの頃と似ても似つかない日々だったけれど、でもやっぱり”今だからこそ”の旅でした。そしてまた10年後位に、この国の海を訪れてみたいな。その時、私はどんな旅をしているのだろう。

子供達もすっかり海っ子になりました。元々怖いものなしの娘は泳ぐことに飽きると岩にぐいぐいよじ登り、ホテルで友達になったフランス人の少女と浜を駆け回り、三歳になりたての息子は、「サーフィンUSA」のさびを繰り返し歌いながら、ご機嫌で波を楽しみ、浮き輪がもういらないのよ! そして私はといえば・・・朝の光で目覚め、家族がまだ寝ている中(きっとホテルのお客さんもまだ皆夢の中!)、水着に着替えて、朝一番、海に飛び込む!まだ水はヒヤッと冷たいけれど、朝陽が波にきらきらはじけて、それを追ってどこまでもどこまでも泳ぐの。ふと浜を振り返ると、ちらほら、散歩をする人々がゴマ粒のよう。泳ぎ疲れたら水着の上に薄いワンピースを羽織ってレストランで朝食をとっている家族と合流ね。色々な国のメニューがビュッフェで並んでいるのに、彼らは毎朝ブリオッシュと納豆の日仏折衷ブレックファーストを選ぶところが何だか可笑しい。そして私はといえば、絞りたてフレッシュジュースとフランスパンとバター、珈琲の、パリと変わらぬ朝のメニューにしか食指が動かないのだから、不思議なものです。 シュノーケリングで貪るように海に潜り、夕方は海の見える高台でヨガをして、そして海辺に人っこ一人消えた、日が沈む頃に、一人で沖へ沖へとまた泳ぎます。海と空の色がどろりと溶け合いそうで、それはひどくシュールな光景で、そこに一人浮かぶ自分の存在が、なんてことのない自然の一つになり、このまま消えちゃってもいいな、と思うと同時に、自然と自分がとけあい、生きる、ということが、妙に愛おしく、感じて。 泳ぎ疲れて、背泳ぎでぷかりと顔を天に向け浮かぶと、すでに空には一番星が輝いていたりするの。 ディナーはちょっぴりお洒落をして。三歳君だって、ちゃんとワイシャツ着用(笑)。土地の味覚をたっぷり食べて、冷たいカリフォルニア産のワインで心地よく酔い。食後は月の光を浴び、夜風に吹かれました。 そして、戻ってきたTokyoは、あまりにも色と音が溢れすぎています。

*8月*

さちぼん。

帰ってきました。わが街パリに。

さっちゃん、やっぱりパリは、心地いい。8月だというのに、セーターやジャケットの必要な寒さで、しとしと雨さえ降り続けているのに、ほっとしている私がいます。昨年の冬も日本に戻ったけれど、慣例の2週間滞在。でも今回は異例のパリを離れた一ヶ月間。少々パリにホームシックでありました。

東京も勿論、好き。生まれ育った街、私の故郷。それは私の原型をつくり、思い出が詰まり詰まった場所。でも、もう私の居場所ではないんだなと、寂しく悲しい気持で今回の滞在で実感したの。そうは言っても、Tokyoの凄さ、そこで活躍する友人たちの、パリの友人たちとは又違う素晴らしさ、魅力を、色々なことをお喋りしてひしひし感じたのでもあるのよ。

ただ、私には、東京のあの音と色が混ざり合い溢れかえるエネルギーについていけるだけの、神経がもうなくて、パリの冷たいくらい個人主義的で、でもその奥に深い人情を隠し持つ人々とのリズムと空気の中でしか泳げなくなってしまったのかな。

東京では、あっぷあっぷと息も絶え絶え、溺れそうな気がしていた滞在後半ではあったけれど、振り返るとそれでも特別な濃い色をした2007年の夏の日々。 元気そうで一段といい顔をしたさっちゃんと、久しぶりに会えたのも嬉しかった。まだまだ話したい事はあって、それは日々増えていくようだけれど、今度はきっとパリで美味しいワインと共に夜遊びしようね。

一ヶ月ぶりのパリの街は、まだバカンスの眠りの中。パリジャンたちはまだ海や山で休暇中のようで、街はとても静かなの。それがまた悪くない。そしてパリはやっぱり芸術の都(音楽や芝居や詩や諸々含め)と私を小さく興奮させる。

そして私は何をしているかというと…。この一ヶ月 創作から遠ざかっていて、さて作るぞーとは、そう簡単に手は動きません。なんというか心と手の創作準備期間が必要で。今は日本で母からもらった昔のワンピースや娘の小さくなったお洒落なシャツを、ボタン、テープ、布と解体して、これから何ができるだろうとわくわく想像したりしているところ。一ヶ月ぶりに見る我が家も、あれこんなんだったかなと直したい所があれこれ見えてきて、引越しのリスクを思いつつも、思い切ってキッチンの壁を塗り替えようかなと考えたりしています。そこにはまだ構想中の、新しいランプを飾りたい。

フランスでは新しい年の始まる9月がすぐ目の前。人生の続きに、気分新たにとりかかる季節。

そして私のメインの「灯り」お仕事も冬の本番に向かい、少し緊張し始める時。だから8月が終わるまでは少し自分を許し、のんびり構えていこう、と思っているのよ。久しぶりのパリと対話しながら!

この日である偶然が、小さな頃から好きな、私の誕生日が、やってくるまで。

*9月*

さちぼん。 ああ、夏のロゼ !

太陽の下でのランチや夕暮れのディナーには欠かせない、透明でキラキラ光る、キリリと冷たい飲み物。それは赤ワインや白ワインのように、まず一口含んで、沈黙、そしてウンチク、という儀式なんてなし。勿論、カビの香りのする赤ワインも枝の香りがする白ワインも大好きな私だけれど、夏となればぜったいロゼ!

その横には大きなサラダボールに大ぶりに千切ったフレンチレタスとザクザクと切ったフレッシュなキュウリやトマト、そしてオリーブをポンポン放り込んで、一番絞りのオリーブオイルとフランボワーズのさっぱりビネガーで作ったドレッシングをふりかけた豪快なサラダ。メインはオーブンから出したばかりのアツアツ丸焼きチキン!その後にはお気に入りのチーズ(特にブルーチーズ!)を美味しい田舎パンと共に。

私はフランス語の「ne cherche pas compliqué」という言葉が好き。「複雑なことを探すな」=あれこれ考えすぎるな、自分のお好きに、シンプルに!英語ならSimple is beautifulかな。このランチはまさに « シンプルでハッピー »を現すフランスのArt de vivreのひとつだと思うのよ。

そして時にこのロゼが、乾杯のシャンパンになったりしたら、私の幸せ度は更に上がったりするのです!

そんな夏もすっかり遠い昔の出来事のようなパリ。どんより曇った空は秋を吹っ飛ばして、冬の気配さえ感じられて。

子供達も新学期が始まりました。息子君は初めての幼稚園に毎朝号泣。「ママン、チュー」とせがまれて、涙に濡れた頬に百回キスをしてあげても、また「ママン、チュー!」と叫びながら新しい涙が頬を伝っています。かなり繊細なギャルソンね。

娘は相変わらずのマイペーズで、ちょっぴり大人の気分の小学2年生になりました。しかし“算数の勉強用に計算機持参のこと”と連絡帳にあるのには、疑問。だからフランス人、簡単な計算にも弱いのよ。

そして私は一つまた年をとり(おめでとうの言葉をありがとう)うーんと伸びをして「さて始めるぞ!」というところです。

夏前からの大作がまだまだ完成に至らず、しかも最初にデザインなどせず成り行きとその時の感情で作るいつものパターンなので、作れば作るほどこだわりが出てきて…。予定されている11月の展覧会は、どうなることやら、と、不安。なーんてことはありません。いつも、どうにかなるさ、の私。どうにかならなくてもどうにかなるさ、のako。

さてさて、この場を借りて、お知らせさせてくださいませ。5月に楽しい撮影が行われた「ako et paris」特集のある「Benesseおうちにいたくなるインテリア」9月1日に発売されました。仲良しカメラマンさんとADさんによって、アーチスティックで個性的な頁になりました。表紙にも私が出ていますが、そのカバーをとって本体の銀地の表紙も見てください。私の最も愛する素敵なマイランプの写真がありますよ。

*9月*

娘ちゃん、可愛い年頃ね。

一日一日が、戻らない貴重な一瞬のかたまり、ね。でも本当は、全ての時がそうなのね。

日本から戻って一ヶ月、この夏の日々を振り返るとそれはもうカチンと固まってキラキラ光るクリスタルの結晶のような思い出に既になっている。もうその時に入り込む事はできない。時の流れは不思議。でもそれは時に心を和らげる薬にもなるね。

タイムマシーンはいつか発明されるのかしら?色々なことが可能なこの世の中だもの。ただ「不死」だけは、永遠に人間は克服できなくて。ああ、でもそれは救いよね。

パリの秋は、お天気がころころころんころん、変わっています。

30度を越す晩夏を感じさせる先週の日曜日。さっちゃんのと私の子供達で2年前にピクニックをした、ヴァンセンヌの森の公園へ久しぶりに行ってきたよ。パリは年々公害がひどくなる気がして、少なくとも週末は郊外へ逃げるようにしているの

(ヴァンセンヌはちょっと近すぎだったけれど)。さっちゃんと一緒の、そよ風吹く気持のよい晩秋のあの日は、人が全然いなくて6人で芝生を占領できたよね。息子君がやっと歩けるようになった頃で、子供たち4人が手を繋いで歩く光景が微笑ましかったっけ。でも先週の日曜日はお祭りのような人出で、あの池の周りは水着姿で日焼けをしたり、家族や友達とピクニックする人で溢れ別世界。私たちは手漕ぎボートを借りて、1時間の水上散歩。静々と進むボート(だって子供たちが漕ぐのでひどくゆっくり)から私は素足をたらし、つま先を水につけて微睡みました。

そして翌日は、セーターを着ないと寒い冬温度。まったく昨日は素足でサンダル、今日はタイツでブーツ。でもこの際 “日替わりで四季のお洒落が楽しめる“と思うことにしています。

大阪の秋はどうですか?

*10月*

元気そうな、さっちゃん!

ある時はペンを片手に働く女。ある時は目に厳しさと優しさの光を湛えたボランティア女性。そしてある時はキッチンに立ってオリジナルカレーを生み出す可愛い母ちゃん。ご近所さんとのコミュニケーションもばっちりで。何をしてもそこにいる人、事実と共鳴して生きるさっちゃん。すごい。ほんとに!

先週から昨日まで、私はとっぷり「akoワールド」。といっても独りクリエーションに没頭ではなく、雑誌の「ako et paris」のロケ再び、でありました。朝の珈琲からビストロでの滑り込みランチ(ランチタイムなどとっくに終わっている)を経て、9時以降から始まる夕食に続く撮影。週末はノルマンディ地方への取材。そんな10日間に渡るハードな日々だったにのに、どこまでも自分のまま、気も使わず仕事ができたのは前回同様大好きなカメラマンさんとADさんが一緒だったから。彼らは素晴らしいプロで繊細なインテリで、どこか不良で、デビット・リンチ曰くの「ソフィスティケイトされた子供たち」!半年分くらい笑い転げて、涙を流すことも度々の楽しい10日間。彼らは子供達もとても可愛がってたくさん遊んでもくれたの。ある日、遅いランチの後に仕事がおし、学校のお迎えを忘れてしまった私の代わりに、夕方になると腕時計を気にして時間が近づくと毎回教えてくれた二人。パパは長期出張の不在で素敵なステップファーザーズのようでもありました。

そして今日、カメラマンさんは、東京に発ち、ADさんは、モードの展示会のADの仕事に取り掛かり、私はといえば、冬の展覧会に向かって制作に没頭すべき時に。何だか突然、ひとり、ぽーんと放り出されてしまったみたいな頼りない感じがする今だけれど、またこうやって三人で一緒に仕事ができるようになるのには、何はともあれ、まず、私が私らしい私の作品を作らなくてはいけないね!自分ひとりの、クリエーションの世界に戻って。

*10月*

さちぼん。

わぁ!そんな言葉を貰ったら、仕事を続けないではいられないね。でもその一言は、実はさっちゃん自身がそうありたい、と我れ知らず望んでいたことでもあったと思うよ。だからこそ、いつまでも嬉しく、さっちゃんを元気付けているのだと思う。

でも私は、旦那様といる時の、なんだか力を抜いた大阪弁のさっちゃんの顔も、ありのままさっちゃんで大好きよ。

私はずっと若い頃から何より自分の感覚(考えじゃなくてね)を頼りに動いてしまい、さっちゃんのように尊敬する先輩のような存在がないけれど、“私”という人間のある意味で原型を創っていると思うのは父がよく言った言葉、「お姉ちゃん(ako)ならできる」。笑うなかれこの「できる」というのは、芝生の土手を自転車で斜めに下るとか、海辺の岩と岩の大きな隔たりを飛ぶとか、森の木の蔓のブランコに一番に乗るとか、そんな他愛無い、でもちょっと勇気のいることだったのけれど!

でも、今に至ってもそれは私の中で、色々な場面で木霊する。父から私への、一番の贈り物です。

今、ちょっぴり大人になって思う。言葉って、きっとどこでも使い古されているであろう単純な一言のほうが、あれこれニュアンスを加えてお洒落をしたり詩的にしたりする言い回しなんかより、いえ単純な一言だからこそ、ズン、と心に響くのね。大好きな人なんかの、ぽんと投げかけられた言葉が、時に心にやわらかく突き刺さり、ふぃ、と夜中にわたしを目を覚まさせるくらいなのだもの。

言葉。ひとつひとつを、大切にしたいね。

*10月*

さちぼん。おもしろい!

と言うのも、ふむふむと、同感するのではなく、私たちの「感じる」ということの違いを知る、ということ。それは脳と心をちょんちょんと刺激さえして。

さっちゃんの一文「女は女であることのプロなので、他のことではプロにならなくていいのだと思う。何をするにしても、余技、という感じになるー他の人はどうか知らないけれど、私は、あー、わかるわ!この感じ!!と思ったの」—。もし私がこの一節を本で偶然読んでも、さっちゃんほど心打たれてはいないと思う。それ以前に意味するところを理解しようと努力するくらい、どこか私とは遠いフレーズだわ。しかしさっちゃんは頭の片隅に記したほど感動している。それはどうしてだろう?

そして思ったの。果たして「女」とは何を意味するのか。さっちゃんにとっての「女」は、作家と同じ「関西の女」として同じものであるけれど、「かつての関東の女、現在パリの女」である私にとってはイメージ又は定義するものが決定的に違う?

その前に、私はちゃんと「女」?という疑問。もちろん“OUI”ではあるのだけど、そう答えつつ「おんな」という言葉の響きは私自身に、なんだか恥ずかしくて居心地の悪い思いもさせて。

私はどこか中性的なところがあるのかしら。モノを作る女性はどこか男性的なところがあり、その逆もしかり、と言うのは言い得ていると思うし。全くのところ私は「女のプロ」とは程遠く、翻って「女のプロ」などさらさら求めなていなくて。そう、どう考えても“肩にかかったロングヘアーをかきあげ一肩見せる”なんてことは恥ずかしくできない人なの。そして私は「わたし」であればいいではないか、と思うに至り…。

でもさっちゃんの感動の理由、きっと私の言うところとは全く違った視線をもってなのだろうね。ぜひ聞かせてくね。

この話しの元、田辺聖子。私もまさにさっちゃんと同じ偏見で、未だ読んだことがないの。そしてさっちゃんの言う“こういう文章が書けるのは、選ばれしもの”をひしひしと感じるのは私にとってサガンで、本棚にずらりと並ぶサガンから偶然に引き抜いた「ブラムースはお好き」を最近再読した私は、どうにもブラムースが聞きたくなって、オフィシャル・デ・スペクタクル(仏判ピア)を買ってきて、見つけた私の特別好きなピアノとチェロとヴァイオリンという室内楽コンサートに、週末の夜行ってきました(聞きたい作曲家のコンサートがすぐ見つかるのも、パリの良い所!)。

私はオーケストラによる大ホールでのコンサートも好きだけれど、目の前で繰り広げられる小さな室内でのコンサートにひどく心を揺さぶられる。今回も小さなお城のようなマレの館で、しかも到着時にすでに満席で、あきらめて帰る人もいたのに、お願いして、折りたたみ椅子に座って。でもそれは、上質なシャンパンに心地よく酔うような、海に浮かぶような、もう魂を預けきったような、恍惚な時でした。

季節の変わり目、体を大切にね。

*10月*

さちぼん。難民申告者さんたちの為の翻訳作業、一段落しましたか?

日本は難民達にとても厳しい国だと聞いている。少しでも手助けしたいさっちゃん。どうか宜しくね。頑張ってね。....今、どう探しても上手い言葉が見つからない。

フランスにはさっちゃんも知っての通り、元難民、今移民という人たちが沢山います。彼らが凄いのは、そしてフランスの凄い所は、今、彼らが私の隣で、私と同じように美しく手入れされたパリの街を闊歩しながら、笑うことができるということ。

「私、時々、日本の国の四季をとても懐かしく思うのよ…」ともらした私に、「祖国の風景なんて、思い出したくもない」と言った“私たちと同じアジアの国”から来た、ソルボンヌ大学で10年前に机を並べて一緒にフランス語を学んだ男性。彼にとって祖国の風景は、決して美化されたノスタルジーなど運んではこない、ただただ忘れたい過去。

私の隣でモデルのような体を芝生に横たえ、昨年の夏一緒にピクニックをした美しいクロアチ人の女性は、数年前まで母国のひどい戦火の中にいた。自分の街が赤々と燃えるのを、家が銃弾で穴だらけになるのを、その目で見つめていたの。

昨日もラジオ「フランス・キュルチュ-ル」を流し聴きしていたら、偶然にもレバノン文学と日本文学の批評番組で(翻訳された日本文学をどこまで批評できるのか?)レバノン移民たちの問題になり、あるレバノン女性がアクセントのあるフランス語でインタビューに答えていた「私がここに来るまで、地獄のような日々だった。そしていとこを、子供を亡くしました」。私は胸が苦しくなり、顔が熱くなってきて、耐えきれず、ラジオのチューナーを優雅なシンフォニーの流れるクラシック番組に代えてしまった。私は、彼らの悲しみに直面する強さがないよ!!!!

ただ。今、小さな私に、おごましくもアーチストである意味があるとしたら、神様が私を偶然の導きで「あかりのオブジェ」を作らせているとしたら、多分それは、現代を生きる人々に、ふっと、たった一瞬でも安らぎを感じられる瞬間を、このオブジェたちにより与えられるよう、と、ちょっと大げさになってしまうけど、使命に似たものを背負いたいよ。

革新を求め、今までにない何かをかきま見せようとする「ピカソ」派アーチストと、「肘掛け椅子のような」アートを作り出す「マチス」派アーチストが世の中にいるとしたら、私は断然にマチス派で、緩やかな音楽のような作品を創りだしていけたらどんなに幸せだろう。

話は変わって、さっちゃんの「女」についてのお返事ありがとう。10代の頃習っていた生け花の先生が、私の作品の一輪の蕾を、ちょっぴり傾けただけで、あっ、と思うほど、作品の世界が変わったことを、ふと思い出しました。うん。さっちゃんの解釈する意味では、きちんと私も「女」ね、と、ちょっぴり安心した思いも感じながら。

パリはすっかり冬支度です。

*11月*

さちぼん。

日本もすっかり寒くなってきたようね。パリでは寒さがもうすっかり日常になり、私の白いコートは早くも一度クリーニング屋さんに出さなくてはいけないくらいです。

さて、さっちゃんの言う、

「そして・・・人は、食べられ、安全に眠ることができ、 職を得、住まうことができたら・・・ そのあとには人にはやっぱり「アート」が必要なのですよ、あこちゃん!」

でも。

アートを即、ピカソだゴッホだロダンだ岡本太郎だ、印象派だルーブル美術館だ東京近代美術館だ、と勘違いしてもほしくないの。もちろん、アートの定義は、ひとさまざま。

そして私にとってそれは、毎日の夕焼けであり、落ち葉の重りあった色や、真っ赤な林檎の色であり、信号の色が染める雨の街の風景であり、空き地に棄てられた錆びた自転車の風情であり、頬に伝わる友人の涙の跡であり、彼の笑った時のいくつもの皺であり、海の色であり、見上げた葉の重なりであったり…。

フランスの学校は知っての通り年末に一度遠足があるの。2年生の娘のクラスのこの冬の遠足は、版画アトリエでの体験授業。私もお手伝いに参加して、美術の先生と共に、子供たちと過ごす一日。

30人の子供たちを引き連れワイワイガヤガヤとメトロに乗り、アトリエに到着すると、まず版画家の先生からの説明を受け、二人一組なって、簡単な動物や人形の切り絵を絵の具でプリント。エプロン代わりに着た大人のぶかぶかのTシャツ(その姿がまた可愛い!)はみるみる青や黄色で染まって、みんな一丁前のプチ・アーチスト風情!

最初は作品が刷り上るたびに完成をあげていた子供たちを微笑ましく見守りながら、あれこれお手伝いをしてあげました。

しかし、その後、私はすっかり気を落としましたよ!簡単なテクニックをどうにか飲み込んだ彼らは、もうそれは立派にナイーブな作品を創り上げていくの!本当のことを言うと、アトリエに入ってすぐに、壁に貼られている幾つもの他の子供たちの作品を見た時は、うわぁと感嘆のため息を洩らさないではいられなかった。色使い、フォーム…それはもう!おてあげです。勝ち目はない。と私はひとり、首を横に振るばかり…。それは、なんていうか、自然、なのよ。

朝焼けの美しさと同じくらい、その小さな四角の中の世界は自然で美しいのよ。

日本語アクセントでフランス語を喋る一日アート先生はなかなか人気で、授業が終わると子供たちに囲まれて、みんな我先にと止まらぬお喋りを聞かせてくれました。娘も大喜びで、しかも…そっと片思いの彼を「ママン、この男の子」と、目線で教えてくれて。「素敵ね!!」と私もウインクを返しましたよ。

*11月*

相変わらず活気あるさっちゃんの大阪人生。

鮮やかないくつもの色がシャボン玉のように、さっちゃんの周りを囲んでいるのが見えるようよ。

さっちゃんのオリジナルカレーも食べてみたいな。そのためにも我が異国の大阪にもいつの日か。

私はフランス人のお友達をチビッコ付きで家族まるごとランチに招待する時、しばしばピクルスやオリーブを加えただけのシンプルなグリーンサラダをお供に、デザートにフルーツソースがけのフロマージュ・ブロン(ヨーグルトのような滑らかなチーズ)を用意して、メインに大きな赤いクルーゼでカレーを作り、そのままどんとテーブルの真ん中においてサーブするの。これが間違いなくいつも大好評!カレーは珈琲やショコラの様に、世界中の人に受け入れられる味だと思う。

さちぼん極秘レシピカレー、ハヤシライスの様に“サチボンライス”といつの日か呼ばれ、大阪発、世界制覇も夢ではない!

さて。私は先週末のおうちEXPO終え、その後のオーダーと来週から始まるギャラリーでの展覧会の用意で

アパルトマンに籠もりきりの一週間。おうちEXPOは沢山の人に来て頂いて、沢山の作品たちが旅立っていきました。

「居間に」と言うのと並んで、最近は「子供部屋に」と小さなあかりが旅立っていくことの多いのが、なんだか嬉しい。

又お渡しするお家のことを考えながらオーダーを作るのも楽しいの。「我が家の裸電球を飾るもの」とか「このつぼで使って美しいあかりの彫刻を」とお題があるのも同じ作品のリプロダクト(去年は雪の玉を一週間で4個作り上げたのよ)より時間はかかるけれど、ウキウキと針がねや針と格闘しています。

でも、ホントのことを言っちゃうと、今回のおうちEXPO、去年に比べて満足度…半分。と言うのも、オマケのつもりで片隅のテーブルに並べている趣味で作っているアクセサリーに、皆さんわいわい集まり、ランプよりお手ごろ価格でクリスマスプレゼントにもぴったり、と言うことなのか「プレゼント用ラッピングお願い!」と言うこともしばしばで、恥ずかしそうに光っているランプたち、その影となる、というシーンが多々あり…本末転倒の感。来週からはギャラリーでの展覧会もあるけれど、おうちEXPOは、私にとって大切な意味を持つもの。これは違う…建て直ししなくちゃ…と、果たして来年2月、お友達のビデオアーチストの美しいプロジェクションと共に、インスタレーションEXPOを再び行う運びとなりました。

パリはすっかり寒いけれど、街中に飾られ始めたクリスマスの明かりが美しい。さっちゃんの前回のお手紙で、

「そうだ、我がアパルトマンは夜、どんな風にみえるのだろう?」と、ある夜ランプをつけたまま外に出て、見上げてみました(我が家の明かりはみんな私が作ったものなの)。

柔らかな光がもれる中、お星様のように光る三つのHOP LAMP。展覧会時期はナイーブになり、生きることに疑問を持ったりもしてしまうけれど、ただ、光を作り続けていこう。と思ったよ。

*12月*

さちぼん。

「プレゼント」の言葉は「presence→存在=私が、いますよ」から来ている…!ああ、本当に!

知ってる?フランスの出席をとる時の返事は、Oui又は「Présent (e)プレゾン(トゥ)」。

大好きな人が、気の置けない友人が、家族がいること、会えること、それは本当に何よりの素晴らしいプレゼントね。

人付き合いが苦手な私が、うんうんと、偽りなく心からそう思えるのは、多分、先日終わったばかりの展覧会のおかげ。なんだか、とてもいい、展覧会だったの。

マイナス温度の、一歩外に出れば凍え震える12月のパリ。しかもクリスマス前の忙しい中、モンマルトルの丘をふぅふぅと登って、静かなアートをわざわざ見に来てくれる人々はみんな温かくて。ワインとチーズ、そしてミカンを時々口に放り込みながら、優しく、でもなんだか満足気に輝く私のランプたち(その幾つかは私の元から離れて行ったよ)の隣で、年齢差も国籍もなく、ゆったりした時を、アートや文学について語りあって、過ごして。

人の入りとか、売上げとか、展示作品とか、そういう次元の満足感とはまた違った、

「なんだか、ああ、わたし、ここにたどりついて、よかった」と、思わせる展覧会だったのよ。

一緒に展覧会を行った作家(立体コラージュで箱の中に小さな世界を作っている)マリー・クレールと出会えたことも、今回の展覧会の宝です。彼女の存在は、少し私を強くしてくれて、展覧会の日々、私たちは会えばそれはもう、とめどなくお喋りしたの。ギャラリーを閉めたあと、手に持ったお茶が冷え冷えになっているのも忘れて、芸術、文学、恋愛、結婚、人生について…。出会ったばかりだと言うのに!

今思うと、私がマリー・クレールに、質問攻めだったのかもしれない。彼女は、顔に美しい皺をいっぱいに湛えた、80歳近いおばあさま。でもおばあさん、なんて言葉が全然似合わない、名の通り聡明な女性。ある時から一人で他国に渡り生き、強くて、それと同じくらい優しい。

私よりずっと年上の三人の娘さん、そして別れた旦那様(と現奥様)もヴェルニサージュに来ていて、元旦那様とマリー・クレールはもう長く一緒に住んでいないけれど、ちゃんと心では結ばれていることが、彼らの態度や言葉の端々で、私は感じてしまったよ。マリー・クレールはそして、彼がその前でじっと立ちすくんでいた“彼にしか本当にはわからない”という海を表現した作品を、彼へのクリスマスプレゼントにすることに決めていた。

さっちゃん、私は一人の同じ女性として、彼女がたまらなく好き。

7歳くらいの時にさえ、生まれたばかりのいとこと70歳を過ぎた祖母を比べて、「これから長い人生が始まる赤ちゃんと、

もう人生がないおばあちゃん、どっちがいいのかなぁ…」と、難問を母に投げかけた私は、二人の子供を持ってなお、生きる意味がよくわからず、不幸などと言う言葉とは程遠い日々を送っているはずなのに、2008年の真新しい手帳を開いて

「ふっー…またこんなにもの日々が」と、思わず溜息をついて、私は、私を驚かした。

でも、マリー・クレールは、ふうっと何気に言ったの。生きる意味、なんてことより、今のあなたがこうあれることに

「DIS MERCI!」ただ感謝することよ。って。

2007年の私からのお手紙は、今日で最後ね。

さっちゃん、ありがとう!みんなみんなありがとう。そして来年も、もっともっと、素敵な年にしようね。

*1月*

さちぼん。

遅くなりましたが、あけましておめどう。今年もどうぞ宜しくお願いします!

お互い素敵な年にしましょうね。そして今あるHAPPYを、雪だるまを作っていくようにごろんごろんと更に大きくしていこう。

さっちゃんのお正月パーティの「1位になった人は、みんなに褒めてもらえる」ゲーム、とっても楽しそう!仲間入りしたい、と思うのは私だけではないはずよ、きっと。 さっちゃんの旦那様への褒め言葉は、まさにね。しかしさっちゃんたら、我知らず旦那様の自慢なんかしちゃってる!クリスマスカードの家族写真にも二人の愛が溢れている。

先日も、途中から聞き流していたラジオで、片田舎のおじいさん、

「今までの人生の中で、一番幸せだった瞬間は?」の」の質問に、「結婚式の日かなぁ」!!!

永遠の愛、って、ちゃんと存在するのね、と新年早々、一人勝手になんだか温かな気分になりました。ありがと!

そして、かたーい、お豆を煮るシーン。

思うに、どうしてこんな食べ物が生まれたんだろう?リンゴやニンジンやミカンや…に比べたら、食べるまでの過程がなんと困難な食べ物なんでしょう。と、私はクルミをえいっ、と割って口に放り込むたびに、こんな美味を堪能するに辿りつくことがきっとできない森の動物たちの無念を思い、神様は意地悪ではないですか、と思うのよ。

さて我が家のクリスマスバカンス(知っての通り「冬休み」ではなく「クリスマスバカンス」。

「冬休み」は2月後にちゃんとあります。ちなみに日本にはない「秋休み」もフランスには存在)は、

恒例の親戚一同大集合パーティが終わると、28日から我が主人は休暇をとり、その初日、のんびりワイン片手にランチを済ませ、珈琲を啜っていた午後3時、突然「噂のレ島にバカンスに出よう」と言いうことに。

ともあれ数日の荷物を鞄に放り込み、日の沈む頃、泊まるあてもなく、まあ、どうにかなるさ、と車に乗り込んだ私たち。子供たちも訳がわからず「ね、どこ行くの?海?山?わーい!」私は、すやすや夕寝のロング・ドライブ…。

果たしてレ島は、何にもない小さな島で、ただ海が、時々霧に包まれシュールレアリズムな世界を作ったり、沈む夕日が、波打ち際に反射してまぶしいほどだったり、なんだか、パリの現実世界と繋がる紐を、プツリと切ってみました、と言うような、心身を真っ白にする休日を与えてくれました。

時々、意識して風景に溶ける、って大切なことね。

*2月*

さちぼん。

こんにちは。

家族で久しぶりのパリ滞在はどうだった?楽しい、だけでない、きっといろいろな感情が沸き立った一週間だったことと想像しています。娘ちゃんや息子くんも、彼らにとって既に夢だったような気がしてきたパリが、まだちゃんと実在している…という感じだったのではないかしら。

私も楽しかった!家族みんなで会えた日曜の我が家でのランチ、翌日の共通の友人家でのお茶、そしてその後に二人で入ったカフェ、私たちはお喋り通し、なんと二日目の夜、私は興奮状態で眠れなくなってしまったほどなのだもの。久しぶりの母国語を、半年分使ってしまったようだったもの!

そして水曜の夜は、偶然時期を同じくしてパリに来ていた私の大好きな取材撮影スタッフたちとのさっちゃん家が借りたアパルトマンでの気の置けないパーティ。またまた私はお腹を抱えるほど笑って、夜中近くになって、帰らなくちゃ、と言ったのは私だったけれど、本当はまだまだ帰りたくなんてなかった。

ね!さっちゃんも彼らとお友達になって毎回彼らとの取材撮影の一週間が仕事とは言えどんなに楽しく、そして充実した時間であるかが、想像がつくでしょう。

その後、私達はプロヴァンスの3日間の取材旅行に出かけたの。朝10時パリ発のTGVに乗り込み、お昼過ぎに到着したマルセイユ駅に迎えに来てくれた観光局のプレス担当の方とご挨拶をするや否や、私は電池切れのように、頭が真っ白になり気を失ってカメラマンさんに倒れこみ、まずは観光局に運ばれる、と言う飛んでもないスタートではありましたが、その後少し生気を取り戻すと、昼食に入ったレストランで私は大きなステーキを頼んで元気を蓄え、その後の撮影取材は、もういつものように楽しく、そして印象に残る時の重なりでした。

今回はマルセイユに住む10年越しの親しい友人アイダが、車を出して私たちの面倒も見てくれたの。一日目の街の取材を終えると、彼女は私たちお家に招待して、旦那さんと作ったマルセイユ料理をご馳走してくれ、翌日は早朝のマルセイユの魚市を案内してくれたり、3世帯が仲良く住む、日本建築にヒントを得た撮影用のお友達のお家を紹介してくれたり。

そして最終日、全ての撮影を終えると、気分転換に私たちを海辺に連れ出してくれたの。そこではこの世のものとは思えない、海に沈む夕日が作り出す、暮れなずむ大空が繰りひろげる夕焼けの大スペクタクルを見たの。それは、ひどく、ひどく、ひどく、美しすぎて、脱力してしまうほどだった。アイダは、毎夕のこと、というけれど、本当だろうか?

私たちにとっては、一生忘れられない夕焼け。カメラマンさんはきちんとレンズにおさめ、私は心の奥底に大切にしまいこみました。

*2月*

さちぼん。

私にとって日本は、日に日に現実感を失って、確かにあった過去が夢のごとく美化され霧に包まれていくように、なんだか遠い、御伽噺のようなイメージになってきています。故里は遠くにありて思うもの…と、私自身が、我が母国日本を、柔らかなノスタルジーを運んでくるだけの、美しいものにしておこうとしている、それが、正直なところかもしれない。

そして、無責任感な言い方を、あえてしてしまえば、

「インタナショナル化なんて、いいのいいの。無理しないで。日本は、日本らしく、日本でいいじゃない。日本人同士で、優しく控えめに微笑みながら、日本を営もうよ。そう、あのシンプルなお餅の美味しさも、まっ黒々の海苔の味も、本当のところ、外国人にはわかりっこしないもの」。

本当に、日本は素晴らしい国だと思うのよ。その日本の美点の定義たるものを、ぐるっとひっくり返したところにフランスは美点の定義をもっている、と感じることの少なくないこの十年。そのフランスにすっかり慣れ親しんでいる私は、先週の手紙に応えて我が国のインターナショナル化を思うとき、偽りなく出てくる気持ちを言ってしまえば、私なりの我が国への愛を持ってそうなってしまう。

フランス人の視点で、日本の美を見るようにもなってきてしまっているから、日本に戻り日本の悪いところが見えてくる滞在一週間目を過ぎるとそれに耐えることができず(それが異国なら面白い!と思えるもの)目を塞ぐようにしてパリに戻りふいと入ったパン屋さん焼きたてバゲットの匂いや、エッフェル塔を目に居間で朝飲む珈琲に、ほっとするのが、今の私だわ。

そしてそんな私が、日本の現実について何も分析することなく、感じてしまう印象、を言えば、日本は今、少し混乱してしまってるのよ。

外国人が、いつの時代にもないくらいどんどん日常生活に入ってきて、なんだか賑わしく、あれこれひっくり返されているけど「さて、どうしたらいいもんかなぁ」と。「外国製品はいいな!でも外国人は…うーん困ったもんだぞ」と。

夏に日本に帰り、実家の小学校に通った娘と、パリに比べたら徒歩では長すぎる通学路に「そうだ、彼女専用の自転車と私用折りたたみ自転車が実家にあるのだから、使えばいい!」と二人で並んですーいすーいと、初夏の朝の空気の中、満面の笑顔で自転車をこいで、ふんわり幸せ気分で通学する子供と私。そんな私たちを羨ましそうに見る、トコトコ小さな歩幅で、大きなランドセルを背負って歩く子供たちに、私は手をふったりなんかして。

でも、ある日「ミドリのおじさん」に、遠慮がちに言われてしまった。「歩いてきてくださいねぇ」。

ここで「あ。そうよね」と思うのがそれでも日本人である私。でもこれが論理的で合理的なフランス人である我が旦那様であったら「どうしていけないのですか?」と片言の日本語で理由を尋ね、「規則だから」なんて返事には納得しなくて、

理由がはっきり解明するまで、決して親子自転車通学をやめないのですよ。

日本のプールでのお約束。1時間に一度、全員プールサイドに上がる10分休憩も、

「大の大人が、自分で泳ぎ過ぎているかどうかなど、自己管理できるはず。まだ僕は泳げます」と、プールサイドマン(?)とやりあうのが、外国人である我が旦那様。外国人、日本で少々嫌われるのもショウガナイ…と、こんな事がある度に、私は傍らで「またもや」と(私自身、彼を説得することはとうに諦めている)その成り行きを見ています。

金髪で青い目の、背が高くて優しそうな外国人が腰をかがめて、割烹着を着た田舎のおばあさんと、通じ合ってるのかどうなのか、そよ風に吹かれてお喋りしてる。外国人との色々な問題が取りざたされている中、シンプルに、そんな風景が、今、私が心に壊さずに持っておきたい「日本と外国人」の姿なのかもしれない。

そして「外国の日本人」である私は、この夏、ちょうど夏祭りの日に、友達のバイクの後に跨って走り抜けた都心で、

信号で止る至るところで目に入った、昔から日本人の血を騒がす夏祭りの準備を、酷い暑さもものともせずコンクリの都会の真ん中で楽しそうに行っている人々の姿が、心に焼き付きいて、今も離れない。

「ああ、日本が大好き」と、私は泣き笑いな気分で、思う。


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